凸凹といろ。ができるまで
はじめに
このページを覗いてくださってありがとうございます。
『凸凹といろ。』の代表・編集長のゆーです。
ここでは、凸凹といろ。創刊号に掲載した「創刊のごあいさつ」をベースに、『凸凹といろ。』誕生のストーリーをお話しします。
”大人の発達障害をテーマにしたフリーペーパーを作る”という企画が私の中で動きはじめたのは2022年、11月の終わりごろのことです。
私が『凸凹といろ。』の創刊を決め、2023年2月に実際に『凸凹といろ。』を発行するまでの期間は、およそ2ヶ月と少しでした。
この短い期間で『凸凹といろ。』の企画、制作を進め、発行したことには理由があります。
ケージさんとの出会い
私は、とあるコミニュケーションツールを利用し、大人の発達障害の当事者たちが集まる承認・少人数制のコミュニティを管理しています。
そこには、発達障害当事者であれば誰もが経験する生きづらさ、不安を抱えて生きている人たちが多く参加しており、
毎日のように悩みの相談や日々の愚痴を聞き合い、お互いを応援しあっています。
もちろん私もその一人であり、発達障害の当事者です。
ある日、ケージさんという方が、コミュニティに参加しました。
話をしていると、これから大阪の阿倍野で新たに発達障害バーを立ち上げるのだと言うのです。
「同じ大阪の人だ、新しい私の居場所ができる」と、とても嬉しい気持ちになったのを覚えています。
ひとりで多くの不安を感じながらも、目標に向かい前向きに頑張る姿を見て、私は何かできないだろうかと考えました。
お店をオープンできたものの……
私は、普段からフリーランスでデザインの仕事をしており、お店の立ち上げなどは色々と関わらせていただいてきました。
そういったことであれば、何か力になれるのではないかと思い、ロゴデザインやホームページの制作を手伝うことにしたのです。
お店を立ち上げるまでの期間には、さまざまな問題もありました。
開店資金を借りに行った先で、「発達障害者が一人で飲みに行くわけがない」と融資を断られてしまったり、
それが原因でお店づくりが難航したり……。
ケージさんはそんな障壁もなんとか乗り越え、
夢だったお店『発達障害カフェバーDDbugs』をオープンすることが出来たのです!
しかし、オープンからしばらくして、また新たな心配事が出てきてしまいました。
発達障害の方はマルチタスクが苦手な方や、急激な環境の変化やストレスに弱い方が多いです。
ケージさんも例に漏れず、お店をオープンまで持っていくことはできたものの、その後の宣伝活動までなかなか上手く手が回らなかったのです。
そんな状況のまま営業を続けていると、1ヶ月も経たないうちにお客さんが一人も来ない、というような日が出てきてしまいました。
飲食店であればそんな日は出てくることもあると思うのですが、
そういうときに「どうしたらいいかわからない…」と半分パニックに陥ってしまっているような状況になっていたのです。
そこで、私はチラシを作って配ることを提案したのですが、「そんなキャパが自分にはもう無い」と言われてしまいました。
それもそうです。毎日昼過ぎにお店に行き、料理の仕込みなどの開店準備、SNSの更新に、予約の確認。
そしてオープンして、お店を閉めるのが深夜の23時半頃。
やることが毎日盛りだくさんな中で、更にチラシ配りという新たなタスクを増やすのは、かなり厳しいことでした。
衝動的な決意
ケージさんを知る人たちで様々な集客方法の提案を続けるも、ケージさんはパンク状態から抜け出せません。
新しい集客方法を実践してみるのは、そのタイミングではもう難しい状態なのだろう、と感じはじめました。
だったら、「ケージさんの負担にならない形で、私ができるお店の宣伝になる方法は何か」と、考え方を変えることにしたのです。
だからと言って、「してあげる」という形になってはいけません。
ケージさんの負担にならず、それ単体でも私が楽しんで続けられることとは、どんなことだろうか。
ある日の深夜、「発達障害者が一人で飲みに行くわけがない」と言われ、ケージさんが融資を断られたたことについてボーッと考えていました。
これほど世の中で“発達障害”という言葉の認知が広がってきたというのに、まだそんなことを言う人はいるんだな……。
そんなことを考えていた時にふと「フリーペーパーを作ったらええやん!!!!」と思い立ったのです。
実は、もうかれこれ10年程も前ぐらいから、私の手で作ったフリーペーパーを世の中に出したいと考えていました。
お芝居に関わっては、「小演劇のフリーペーパーをつくりたい」。
絵を描いていれば、「アマチュアクリエイターのためのフリーペーパーをつくりたい」……。
ことあるごとに、そんなことを考えたり口に出したりしていたのを思い出したのです。
それまでは作るための技術もなく、一緒に熱意を持ってやってくれる人もいなかったので、その思いが実現することはありませんでした。
しかし、今なら独学レベルだとしてもデザインもある程度できるし、私一人だけでも実現することができるじゃないか。
私がずっとやりたかったフリーペーパーでDDbugsを紹介し続ければ、私が楽しみながら、みんなに知ってもらうことができる。
それだけじゃなく、発達障害に対する間違った認識も変えていけるのではないか。
「これじゃん!むしろ、このタイミングしかない!」と、大興奮のまま、勢いに任せて企画を進めることにしたのです。
それから1年以上が経ち、今もDDbugsについての記事を掲載しながら、私は『凸凹といろ。』を発行し続けることができています。
最初は1,500部でも多いのではないかと考えていた発行部数も、まだまだ多くはありませんが5,000部を超えました。
偶然の出会いと私の夢が合わさり、行動を起こした結果が、
こんなに応援してもらえるものになったという事実は、何より代え難い私の人生の宝になりました。
この気持ちを忘れずに今後も活動をし続けていくことができるよう、このページに創刊のきっかけを残します。
さいごに
発刊を決意したきっかけを話すにあたり紹介したDDbugsのことは、今後も『凸凹といろ。』で取り上げていくことになるかと思います。
そして、これからもケージさんとの出会いと同じように、今後出会うことのできる人の人生や活動を、応援し合っていけたら楽しいだろうな、と思っています。
あわよくば発達障害当事者でありながらも前向きに生きる皆さんをご紹介したり、専門家の皆さんのお話を伺ったりしながら、
発達障害を知らない人にも「こんな人たちがいるんだ」と少しでも知ってもらえるきっかけになれば幸いです。
長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
これからも「凸凹といろ。」をよろしくお願い申し上げます。
凸凹といろ。ゆー
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