さあ、「自分らしく」生きよう!
「自分らしく生きよう」
「ありのままの自分でいい」
本を開けば、SNSを眺めれば、どこにでも溢れている擦り尽くされたこの言葉。
正直、「おいおい、また“自分らしさ”かい?」って感じちゃったりして。
で、その「自分らしさ」って言葉について真面目に考え始めた瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになったことはないですか?
……私は、あります(笑)。
『凸凹といろ。』の表紙には、「輝く個性と自分らしいHappyを見つけよう!」なんてキラキラした感じのコピーが書いてあります。

そのせいか、たまに聞かれるんです。
「ゆーさん、『自分らしさ』って何だと思いますか?」って。
正直に言いますね。「よくわからない」です(笑)。
これが現実ですし、実際にそう答えることも多かったです。
だいたい、このキャッチコピー、冊子を作るときに「なんか書いといた方がええよな」ぐらいの軽いノリで作ったものですから。
……なんて言ったら、怒られますか?
だから、ごちゃごちゃなりに考えてみることにしました。
らしさが「行方不明」になる理由
「自分らしさ」ってひとつじゃないと思いませんか?
- 人から見た「あなたらしさ」
- 自分が思う「自分らしさ」
- こうありたいと願う理想の「自分らしさ」
- 生活を振り返ると出てくる目も当てられない日常の「自分らしさ」
これ、全部違うけど、全部「自分」なんです。
「理想の自分」からは程遠い、恥ずかしくて目も当てられないような自分も、間違いなく私。
「自分探し」なんてしちゃって迷走している最中のあなただって、十分すぎるほど「あなたらしい」一部。
そして、「自分らしいって何だろう」とか考えちゃってる自分も、まごうことなき自分であり、「自分らしい」時間を過ごしている結果なのだと思うんです。
だから、そこにいるあなたそのものこそが「あなたらしい状態」なんじゃないの?
って思うけど……そうなると、そこにあるのは「自分」という存在そのものだけで、「らしさ」という言葉がどこかへ消えてしまうんです。
これってどういうこと!?(笑)
企業や商品のブランディングで「らしさ」を言語化して見せるのって、わりと簡単だったりします(※簡単ではないですが)。
でもそれって“他人に伝えるための整理”であって、自分が腑に落ちるかどうかは別問題。
そこには「戦略」や「設計」という正解があります。
でも、自分という一人の人間の「生き方」となると、そうはいかない。
「どう見られたいか」という綺麗そうなパッケージだけでは収まりきらない、矛盾だらけで泥臭い「生き様」がどうしても溢れ出してしまうからです。
ポジティブじゃなくてもいい。
さらにややこしいのが、「自分らしさ」がいつもポジティブな文脈で語られること。
でも、ネガティブな状態だって「自分らしさ」のひとつだと思いませんか?
- 人の期待に応えようとして、無茶苦茶頑張ってしまう自分。
- 誰かに敷かれたレールの上を、必死に走っている自分。
- 拗ねたり、焦ったり、何もできなかったり、人に嫉妬したりする自分。
それらを「これは私じゃない」と否定するのは簡単ですが、それも確かに私の人生の一部。
だから、これらもひっくるめて「ふっ……自分らしいわ」なんて卑下することもできちゃうかもしれません。
ただ、それを「これが私らしさだから!」と強引に正当化して、しんどいまま固まってしまうのは、少し怖いことだなとも思うんです。
鍵は「自分の生き様」を客観視すること
最近、ようやく自分の中でしっくりきた仮説があります。
「自分らしい」という言葉は、自分の“生き様”を「客観視」できたときにはじめて生まれるのではないか。
渦中にいるとき、私たちはただ必死に生きているだけで、そこに名前をつける余裕なんてありません。
でも、少し引いた場所から自分の生き様を眺めてみたとき、ようやくおぼろげながらに輪郭が見えてくるものがあります。
「あ、また私は先回りして抱え込もうとしてるな」
「この場面で黙っちゃうのが、いつもの私のパターンだな」
「また嫌なこと言われたのに『嫌だ』って言えなかったな」
こうして自分の中にある「癖」や「足の引っ張りどころ」を客観的に認識できて、やっと次に進めるんじゃないかなー……と。
整理がつくからこそ、「じゃあ、次はこっちを選んでみようかな」と、自分をポジティブに、つまり「納得して選び直せる」ようになる。
そして、「本当はこう生きたいんだ!」という自分のニーズみたいなものが、ちょっとずつ見えてくるのかもしれません。
「自分らしい生き方」と呼べるようになるためには、まず自分の人生を通した“生き様”をそのまま受け止め客観視する、冷徹でいて優しい視点が必要なのかもしれません。
今の私の「答えにならない答え」
だから今後、「自分らしさって何?」と聞かれたら、私はこう答えることにします。
「わからんけど、とりあえず今日も私として生きてます(笑)」
少し真面目に付け足すなら、
「『今日も私を生きている』という実感のこと。
それをあとから客観視できたときに、『自分らしい』っていう言葉になるのかも」
……うん、やっぱり少し長いし、禅問答みたいですね(笑)。
でも、このこんがらがった状態も含めて、今の私なのかもしれません。
「自分らしさ」は、どこかに落ちているキラキラした宝物みたいな素敵なものではなく、
日々の“生き様”をときどき回収していくための「分別フォルダ」の名前なのかもしれません。
「おっ、これは“自分らしい”な。『自分らしいフォルダ』に入れておこう」
こんな具合でいいのかもしれませんね。
そのフォルダの中身が溜まってきたときに、やっと「自分らしさ」を説明できるようになってくるのかも。
よく「いい人生を送れたかどうかは、死に際にやっとわかる」みたいなことも言いますよね。
私は、あれってまさにこの感覚だなと思うんです。
渦中にいるときは、ただ生きてる「自分」がそこにいるだけ。
でも、積み重ねたものをあとから眺められたときに、ようやく「ああ、これが私の人生だったんだな」って、輪郭が見えてくる。
結果的に、最初のテキトーな「なんか書いといた方がええよな」から始まった「自分らしい」って言葉が、こんなふうにちょっとずつ意味を持ってくるのかもしれません。
今日も、未完成な「私」を積み重ねていってみましょう。
もしよかったら、あなたの考える「自分らしさ」も、教えてくださいね。