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“うまく生きているように見えていた”だけの私

「できている自分」が崩れるとき

こんにちは。『凸凹といろ。』編集長、代表の「ゆー」です。
私は、『凸凹といろ。』の制作のほかに、フリーランスとしてデザインやイラストレーターとしての仕事をしています。

最近、それに加え、『凸凹といろ。』拠点の大阪府阪南市で、『といろキッチン』というカフェをはじめた。
LGBTQ当事者の友人「ぺぺちゃん」と、私の母の3人で運営をしています。
直接的には「発達障害」や「マイノリティ」は関係のない店で、地域の魅力を発信することを目的としたお店です。
しかし、こんなメンツが揃ったお店なのですから、マイノリティにやさしいお店ではあるのかもしれません。

駅前ということもあり、多くの人が訪れ、会話をし、笑っていく。
その光景はとても温かく、料理も個人的には満足のいく美味しいものを提供できており、店としての手応えは多少なりとも感じています。
でも、その裏側で私は、ここ最近忘れかけていた種類の“生きづらさ”と向き合うことになりました。

フリーランスのように一人で仕事をするだけならば、自分のリズムで働き、自分に合う環境を整えながら活動できていました。
その中では、たとえ特性があっても「なんとかやれている自分」でいられたし、むしろ強みのほうが前面に出ていたと思います。
『凸凹といろ。』の活動をしている「ゆー」を知っている方からすると、「発達障害だけどそれなりにうまくやっているゆーさん」というイメージがある、かもしれません。
実際、この活動を通して出会った方たちからは、「ゆーさんは上手く生きてるよね」「しっかりしてるよね」と言われることも多かったですし、私自身もどこかでその言葉を信じていました。

けれど、環境がひとつ変われば、その“うまく生きているように見えていた自分”は驚くほど簡単に崩れる。
ここ数ヶ月で私は、それを骨身にしみて実感しました。

“うまく生きているように見えていた”だけの私

『といろキッチン』を始めてすぐ、私は自分でも驚くほど“つまずきやすい自分”と出会ったんです。

短期記憶が弱く、
「さっきどんな注文を受けた?」
「このお客さん、前回何を頼んでくれたっけ?」
「名前が思い出せない」
ということが頻繁に起きる。

合理的な判断だと思ってやったことが「それはダメ」と言われた瞬間、ただ行動を否定されただけなのに、人格まで責められたように感じてしまうんです。
これって、発達障害の方なら経験のある方は多いのではないでしょうか。
小さなことを少し否定(注意)されただけで、過去の失敗や後悔の記憶が全て引っ張り出され、
「私って、何をやってもダメなんだ」「ここにいる資格がないんだ」と、
出来事の大きさとは釣り合わないところまで思考が一気に飛んでしまいます。
今振り返れば、出来事そのものではなく、過去の記憶が反応している状態なのだと思います。

「こんなにできない自分だったっけ?」
私の能力が落ちたわけでも、怠けているわけでもなく、ただ求められる環境と、私の特性の相性が変わっただけなのだと思います。
私が“上手く生きているように見えていた”のは、ただ単に、環境が私に合っていただけなんです。

逆に言えば、環境が少し変わるだけで、こんなにも簡単に生きづらさが顔を出す。
これは私や発達障害当事者だけの話ではなく、誰にでも起こりうることだと思います。
ただ、所謂“生きづらさ”を抱える当事者の場合、その揺らぎがより大きく表に出やすい。
今回の経験は、そのことを私自身に強く思い出させました。

親と働くという難しさ

最初にお伝えしたように、「といろキッチン」では、母とも一緒に働いています。
家族だからこそ理解してくれ、失敗や判断ミスを許してもらっている部分も多いし、助けられている面も大きいと思います。

でも“距離が近い”というのは、ときに大きな負荷になる。

特に、仕事の不満や要望が私に向けて真っ直ぐ飛んでくる。
親だからこそ遠慮がなく、言葉が直接的で、たった一言でも心に刺さってしまうことがある。

働き方の違い、価値観の違い、役割の違い。
全部わかっているつもりでも、“娘”としても“同僚”としても振る舞わなければならない状況は、簡単なものではない。

店の空気が良くて、お客さんが喜んでくれて、それが励みになる一方で、内側ではずっとこれまでの生活とのギャップがストレスとして積み重なってきていたのかもしれません。

そんな思いが、じわじわと胸の奥に溜まって、ある日の夜、涙が止まらなくなってしまいました。

“距離の取り方”の難しさ

一緒に働く大切な友人、ぺぺちゃんは、LGBTQ当事者として、別のベクトルの生きづらさを抱えながらも、いつも明るく、柔軟で、笑顔を絶やさない優しい人です。

忙しい時に料理を落としてしまい、もう一度作ってもらった時も、「あるある〜」と笑いながら対応してくれた。

私が何かを適当に置いてしまって道具が見当たらない時、
「ほなこれでなんとかしよ!」
と、全く責めずに対処してくれるんです。
本当にありがたいし、居てくれてよかったなぁ、と感じています。

でも私には、人との距離が近づけば近づくほど、
「相手に嫌われたくない」
「自分がいることで悪影響を与えてしまうのでは」
「負担をかけていないか」
という不安が湧いてくる。

これは相手を信じていないわけではなくて、過去の失敗経験や嫌われた体験が私の心のどこかにこびりついていて、ちょっとした出来事に反応してしまうからだと思います。

人と関わるのは好き。だから、いろんな人と関わってみたい。
でも、好きだからこそ怖いんですよね。傷つけたくないし、嫌われたくない。

その気持ちが強くなりすぎると、“普通に人と関わる”ということが、途端に難しくなってしまうんです。

誰も悪いことをしていないし、理解もしてもらっていると思います。
むしろ、全員が私の特性や、苦手なこと、得意なことを理解してくれている環境なので、普通の就労環境に比べても、かなり働きやすい場所、人がいる環境に身を置いていると思うんです。
それでも、なぜか「つらい」「生きづらい」「自分が居ては迷惑なのではないか」という気持ちが押し寄せてくる。
それがなぜなのか、自分でもわからないから、自分でもとても不思議に思うのです。

当事者としての視点を取り戻す

今回の経験でいちばん大きかったのは、「うまく生きているように見える当事者」は、ただ環境に恵まれているだけという事実を、痛いほど思い出したことです。

生きやすさは、実力でも性格でもなく、環境によって支えられている。
そして、環境が一変すれば、それはあっという間に揺らぐ。その現実を、私は忘れかけていたように思います。

『凸凹といろ。』で当事者の声を聞き、記事を書き、発信をしていると、どうしても“支援者側に近い立場”に見られることがあります。
しかし、もちろん私は支援者ではなく、当事者として生きています。

でも、発信者として走り続けているうちに、“痛みを忘れそうになる瞬間”が、正直あったように感じています。
「だったら、自分でやればいいじゃん」
「もっと環境を整えればいいんじゃないの?」
「理解してくれる人が近くにいれば大丈夫」
そう思っていたけれど、それだけではない、見えない多くの心のハードルや障害が、自分の中にも根を張るように存在しているのだと気付かされました。

「環境が整っても、つらいものはつらい」
「私はやっぱり、発達障害の当事者なのだ」
今回の経験は、私にとってそういうことを思い出させてくれる、リセットだったように思います。

今の私は、「うまくやれている当事者」でも、「全部わかっている発信者」でもありません。
ただ、環境によって揺らぎながら生きている一人の当事者として、
ここに立っているだけです。

この文章も、その現在地の記録として、ここに残しておこうと思います。

※この記事は、現在進行形の実感を記録したものであり、特定の立場や状況を一般化する意図はありません。

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『凸凹といろ。』のもうひとつのかたち。
原点である紙のフリーペーパーも、ぜひ手に取ってみてください。

編集長・デザイナー

『凸凹といろ。』の発案者で、代表。全体の企画、編集、デザインなどを行なっています。 時間感覚、短期記憶の弱さ、衝動的な発言(失言)や不注意など、自身の発達特性が原因でうまくいかず、 “人と働く”ことは早々に諦め、現在はフリーランスでデザイナー、イラストレーターとして仕事をしています。 やりたいこと、気になることが多すぎて手が回らないのが悩み。 タスク管理や見通しのつきづらい仕事にはなかなか手をつけられないなど困った特性がある反面、思いつきや衝動で動くことも多く、一旦動き始めるととても行動が早い。 雑談や人付き合いへの苦手意識が強いが、基本的に人が大好き。

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