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インタビュー

地下アイドル・超アイドルちぃちゃの物語

ちぃちゃさんが子供の頃はどんな子でしたか?

小学生の頃は、黒板をみているのに頭には入って来ず、ずっとボーっとしているような子供でした。

中学生の頃は、3年間ソフトボール部に所属していました。
でもルールを理解していなくて、先生から「走れ!」と言われたら意味もわからず言われるがままに走っていました。
ソフトボールのルールを理解したのは、3年生の中盤頃でした。

いつもボーっとしていて、損をしていることが多いんです。
計算カードを使っても考えずに雰囲気で答えていましたし、とにかく目の前の出来事を理解することや、物事の意味に気づくまでが遅い気がします。

ケーキ屋さんでバイトを始めた頃は、商品の残数表の数字をしっかり数えもせず、なんとなくの雰囲気で書いていて、店長や他のスタッフたちから詰められたり、怒られたりもしました。

試験など大事な事がある時でも、会場にたどり着けなかったこもあります。

人から何かを言われても頭にもやがかかったようにボーッとしていることが多くて、そういったことは高校生くらいになると更に強く目立つようになりました。

地下アイドルの活動を始めたきっかけは?

発達障害だとわかったのは、アルバイト先の先輩からチェックリストを渡されたり、母から「一度病院へ行ってみよう」と言われたりして、病院へ行ったことがきっかけです。

大学もアルバイトもうまく続けられず、ちょうどその頃にメイド喫茶で働き始めました。
そこで一緒に働いていた子の中に地下アイドルをしている子がいて、その存在を初めて知りました。

ライブを観に行くと、みんな自由に、好きな服で、好きな歌を歌って、好きな表現をする子たちがいて。
それを受け止めてくれるファンの人たちがいました。

「すごい!こんな世界があるんだ!」と思いました。

その後、メイド喫茶は遅刻や仕事の難しさからクビになってしまい、行き場を失った私は、事務所の地下アイドルグループのオーディションを受けました。

けれど、そこは私が思い描いていた“自由な世界”とは程遠い場所でした。
協調性が必要で、ルールに従わなければならい場面がたくさんあって……、物販でなんとか撮ってもらえたチェキの給料は、ポチ袋にすずめの涙ほど入っているだけ。
どんどん苦しくなっていきました。

グループが解散し、本当に行き場がなくなった頃。
知り合いの地下アイドルのライブを観に行った時、なぜか私が歌う流れになり、3秒で決めた名前でカラオケを歌ったのが、今の活動をはじめたきっかけです。

これからの目標を教えてください!

小さい頃テレビでみてきたアイドル像とは違って、誰かに頼まれたりスカウトされたりしたわけでもなく、私は“自分で始めた”タイプのアイドルです。
手探りですが、これからも音楽を中心に、自分のペースで表現を続けていきたいと思っています。

そして、私の活動を見た誰かが
「こんな世界もあるんだ」
と気づいてくれたり、ほんの少しでも日常の娯楽になれたら、それがいちばん嬉しいです。

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超アイドルちぃちゃのX
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凸凹といろ。編集部

これまで紙でお届けしてきた記事は、すべて「凸凹といろ。編集部」として掲載しています。 Webでも引き続き、編集部一同で大切に紡いできたストーリーをお楽しみください。

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