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コラム

医療従事者の立場からみた、発達障害にまつわる雑感② 〜発達障害における感覚過敏・過鈍、そしてHSP〜

2025.11.07

※過敏の対義語は鈍麻であり、よく使用される表現ではありますが、鈍麻は「感覚が鈍くなること」を意味します。
ですが発達障害における感覚の鈍さは生まれもってのものであることについて論じることが多いため、本記事ではあえて『過鈍』という表現を使用しています。

感覚過敏とHSPの関係について

今回は、発達障害の感覚過敏についてお話させていただきます。
感覚過敏といえば、最近日本でもよく知られる「HSP」があります。
おおざっぱにいって一般的に、HSPは「障害の人とまではいかないが、いろいろなことに敏感な人」として理解されているように思います。

簡単にHSP(Highly Sensitive Person)について解説します。
HSPとは米国の心理学者エレイン・アロン(Elaine Aron)博士が提唱した概念であり、日本でも「繊細さん」と表現され、多くの関連書籍が出版されています。
HSPをより実態に即した自然な日本語に変換するなら、「周囲の刺激に対してとても敏感な人」という表現が近いかもしれません。

アロン博士は、自著の中でHSPについて「周囲の微妙な変化に気づきやすく、刺激の多い環境にいると圧倒されやすい」と述べていますが、重要なのは、HSPは特定の疾患や症候群ではなく、欠点でもないという点です。
むしろアロン博士は、HSPという特性をもつ自分の傾向を見極め、日常場面でそれを最大限に活用するという視点をもつことの大切さを述べています。

ただし、HSPには明確な診断基準や医学的な定義があるわけではありません。
先述したような感覚過敏は医学的には発達障害の人に多く見られる特性ですが、「HSP=発達障害ではない」という点はしっかりおさえておく必要があります。
HSPという概念には一定の意味がありますが、それを短絡的に発達障害(あるいはその予備軍)と捉えてしまうと、過剰診断や理解の混乱を招く恐れがあります

感覚過敏と過鈍の多様なあらわれ

また、感覚過敏といっても、とても多様な様態であるという点もおさえておく必要があるでしょう。
次の表では各知覚について記述します。※図1

このように、知覚を簡単に説明しようとしても、1つの知覚(たとえば視覚)だけをとっても説明しきれないほど、さまざまな機能をもっていることがわかると思います。
発達障害の人の感覚過敏については多くの人が知られるようになったところですが、実は、これらのどこかの感覚が過敏(過度に敏感)であるだけでなく、逆に過鈍(過度に鈍感)である場合もあります。

このように、発達障害の生きにくさは過敏部分にスポットが当たりがちですが、過鈍であることで生きづらさを抱えている人も少なくありません。
次の表で、知覚の感覚過敏と過鈍の例を少し挙げてみましょう。

例を出せばきりがありませんが、※図2の例を見ただけでも、感覚過敏や過鈍には多様なケースがあることがわかっていただけるかと思います。
たとえば嗅覚の項目には「特定の」とあります。
これはつまり、人によって過敏さや過鈍さには幅があり、「このにおいに敏感だ/鈍感だ」とはっきり特定できるものではないということを意味します

だからこそ、発達障害に関連する細かな検査があるわけですが、その検査にしても、その人の特性を正確に見極めるのはほぼ不可能です(もちろん検査が無駄だという意味ではありません)。

「グラデーション」で理解するという視点

では、こうした特性のある人に対して、どのように向き合い、接していけばよいのでしょうか。
まず私たちが持つべき視点は、「この人はだいたいこのあたりに苦手さがあるのだろう」とグラデーションのように幅のあるイメージをもつことです。

ただ、難しさもあります。
これらの感覚過敏や過鈍に早くから気づけば対応しやすいかもしれませんが、本人にとってその感覚はあたりまえで、他の人も同じように感じていると思い込んでいる場合が少なくありません。
さらにいえば、過敏・過鈍さは知覚だけでなく、認知にも及びます。
相手の表情の変化に敏感に察知したり鈍感だったり、言葉の細かいところに気づきすぎたり逆に配慮できなさすぎたり、声のトーンに反応してしまったり全く気づかなかったり。
平均より敏感・鈍感であることでしんどくなり、落ち込んでうつ状態になってしまうこともあります。

その結果、対人関係や学校などでうまくいかず、失敗を重ねて自信を失い、ひきこもってしまうという人も少なくありません。

「その人を知る」ことからはじまる支援

ですから大切なのは、その人、そしてその家族を知ることです。
支援者は対話を通してつながりを深めることで、何が苦手で何が得意なのかを徐々に把握していくことができます。
教科書的な知識や診断基準、検査は必要ですが、それだけではその人の生きづらさを見抜くことはできません
このことは、発達障害に15年ほど着目してきた筆者だからこそ言えることだと自負しています。

当然ながら支援者に求められるのは、「発達障害であるか否か」という議論ではありません。
重要なのは、発達障害はあらゆる機能・能力がグラデーションのように連続しているという理解です。
つまり、特別にその人が過敏、あるいは過鈍であるというよりも、「人は誰しも程度の差はあれ、そうした側面をもっており、それは自然なことなのだ」という視点に立つことが大切です。
なぜなら、人が生きていくうえで感覚は必要不可欠であり、すべてがバランスよく整っている人などどこにもいないからです。

診断の意味と「納得」の力

発達障害において診断基準というものに意味があるとすれば、「発達障害」という診断によって、これまでの生きづらさの要因を本人が理解でき、今後の生活での対処法を身につけたり、支援を受けやすくなるという点にあるでしょう。
冒頭で述べたHSPという概念もまた、「自分が社会と折り合えなかったのは感覚の過敏さによるのだ」と、自分なりの原因を見出し、納得できるきっかけになるという意味では、価値のあるものだと思います。

繰り返しますが、「HSPは特定の疾患や症候群ではなく、欠点でもない」という基本的な理解が重要です。
そうでなければ、「HSP=(あるいは≒)発達障害?」といった不毛な議論に陥ってしまうでしょう。
その議論自体は、生きづらさに苦しむ本人や家族を決して救いません。

グラデーションの理解からはじまる当事者支援

当事者理解に求められるのは、発達障害における「過敏・過鈍」の特徴も、HSPという概念における「繊細さ」「過敏さ」も、さらには人の機能や能力においても、すべてをグラデーションのように幅のある連続したものとして捉えることです。
そして、その視点で本人に接することが、支援の第一歩になるのではないでしょうか。

寄稿者

特定非営利活動法人精神医療サポートセンター代表理事
田邉 友也
精神科認定看護師・精神看護専門看護師・公認心理士
2007年よりNPO法人精神医療サポートセンター代表理事。精神科における診断・治療・看護の質的、構造的問題を早い段階から提起。精神科薬物療法、発達障害、トラウマに関する執筆・講演を多数行っている。

訪問看護ステーションいしずえホームページ

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